2014年3月2日日曜日

一人、教室で・・・


  37人が旅立って行った。今自分の胸には大きな大きな穴が開いている。全く気力が湧いてこない。
 卒業式、彼女たちが体育館から退場していくとき、突然自分の中の何かがはじけてしまった。涙が止まらなくなった。笑顔で送り出したいと思っていたのに・・・彼女たちの姿は涙で見えなかった。自分の中にこんなにも涙があるなんて・・・。
 
 この数日間、37人のことを一人一人想いながら手紙を書いた。37人それぞれが私の中で笑っている。何故かみんな笑っている。彼女たちのことを思うと、ペンは止まる。一文字も書けなくなり、しばらく目を瞑る。
 
 彼女たちのこれからを想う。
 
 就職をする者たち・・・旅館やホテルに勤める者達、お菓子や雑貨や服の販売員になる者達、会議録作成に携わる者、薬品アンプルの検査に従事する者達、漬け物製造に携わる者、車関係に進む者、ゴルフのプロを目指しゴルフ場で働く者、歯科医院で働く者、学生服を作る者、京都で和服作りの修行をする者、薬品会社の事務員になる者、
 
 進学する者たち・・・大阪で舞台照明について学ぼうとしている者、服のデザインや製作について専門的知識を学ぼうとしている者達、ウエディングドレスのコーディネーターを目指している者、保育士を目指している者、パティシエを目指している者達、歯科衛生士の資格を取ろうとしている者、雑貨などのデザイナーを目指している者、調理師になろうとしている者、大学に行き栄養についての研究職に就こうとしている者、家庭科教員になろうとしている者、ヴォーカルを目指している者、工業デザインについて学ぶ者、栄養士を目指している者、美容師やヘアーメイクアーティストを目指している者達、グラフィックデザインについて学ぶ者、そして京都や福岡で短大生活を送りながら自分の道を模索しようとしている者達・・・。
 

 何だか・・・何だかすごいじゃないか、みんな。
 みんな走り出そうとしている。・・・心から応援する。
 心から・・・。
 
 
 君たちに卒業証書を渡す。君たちの涙、笑顔、心のこもった言葉。
 
 君たちが手を振り、去って行く。
 誰もいなくなった教室に一人。並んだ机。誰もいない・・・。でも眼を閉じると君たちの声が聞こえる。笑顔が見える。
 
 ふざけ合っている姿、大笑いしている者、絵を描いている者、お菓子を食べている者、本やマンガを読んでいる者、髪をといている者、空を眺めている者、縫い物をしている者、静かに考え込んでいる者、手鏡を見つめる者、眠っている者、踊っている者、ストーブの周りに集まり談笑している者、時々こっちを見る者、目が合えば・・・笑顔。
 
 眼を開く。誰もいない。・・・誰もいない教室。37の机。私は一人、黒板を消す。
 37人の笑顔が私の胸の中の大きな穴を埋めていってくれる。
 37人がいなくなった教室は静かだ。泣けるほどに静かだ。
 
 誰もいない教室でしばらく一人佇む。

 37の机がひっそりとそこにある。何万年も前からそこにあったように。ひっそりと・・・。
 
 

2013年12月31日火曜日

2013/12/31 祈楽


いよいよ年が明けようとしている。・・・世界は激動の時代を迎える予感に満ちているが、自分は37人の生徒のことを考えている。
 
韓国から帰国し、いきなり3年の担任を任され、顔も名前も分からないスタートから8ヶ月。・・・みんなありえないほど温かく自分に接してくれた。自分は真剣になればなるほど熱くなるところがあるので、彼女たちに厳しく接することが何度もあった。だけど37人はきちんと受けとめてくれた。そして逆に救われることの方が多かった。
 
文化祭、スポーツ大会、学習成果発表会・・・震えるほどの感動をもらった。同僚からは笑われるかもしれないが、私は確かに何度も震えた。この歳になっても余裕は生まれない。彼女たちの情熱と集中力は半端ではないのだ。
 
 
その37人も、あと20回あまり学校に来たらここを去って行く。そう思うと何だか胸の奥に痛みを覚える。来年はもっともっと丁寧に真っ直ぐに人と接していこうと思う。そのことを37人から学んだ気がする。何だか彼女たちから学んでばかりだ。
 
今受け持っている37人の生徒達、部活の生徒達、卒業生達、友人達、家族、
・・・みんなにとって来年が素敵な年でありますように・・・

 

2013年3月13日水曜日

帰国して・・・

 帰国して二週間がたった。
 ようやく日本での生活にも馴染んできたといったところだ。といっても特に何かをしているわけではない。

 日本の勤務校の校長から「リハビリには一ヶ月はかかるだろうねぇ。」の一言をもらい、家で静かに暮らしている。


 家族のために食事を作ったり、韓国から送った荷物の整理をしたり、部屋を片づけたり、水槽の掃除をしたり、庭木の剪定をしたり、草抜きをしたり、バスケットゴールを長男と何日もかけて組み立てたり、ゴミ捨てをしたり、サッカーチームに入っている子供達とその仲間の送り迎えをしたり、おみやげを近所の人に配ったり、隣のおじいさんに誘われ畑に行きほうれん草や大根を収穫したり、・・・そんなふうにして一日が終わっていく。

 帰国報告書の作成などやることは無限にあるのだが、遅々として進まない。


 このあいだ部活動の卒業生との懇親会があった。この他にも卒業生との懇親会はあと3回予定されている。卒業生というのは本当にありがたいものだ。随分と厳しい言葉をかけたにも関わらず、こうやって集まってくれる。みんな笑顔で迎え入れてくれる。そして懐かしい話に花が咲く。
 みんなまだまだ若い。きっとこれからいろいろなことがあるだろう。だが時々集まって、こうやってお互い刺激しあいたいものだ。

 もう卒業生に教えることは何もない。こちらがただ学ぶことばかりだ。
 ただ、卒業生らとグラスを鳴らす時、いつも不思議な感覚に陥る。いつまでたっても自分にとっては、あの時の生徒のままに思えてしまうから・・・。


 ニュージーランドのカナイさん、オーストラリアのヤマダさん、ドイツのモリさん、無事に帰国しただろうか。そしてホリオさんももうすぐ帰国のはず。みんなが元気でありますように。

 みんな自分よりもずっと年下だが、恐ろしいほど仕事ができ、それぞれが強い個性の持ち主であった。
 出会ってから2年。みんな様々な困難を乗り越えてきたはずだ。いや、あのメンバーなら、思いっきり楽しんだかもしれない。
 「めっちゃ楽しかった。また行きたい!さよなら日本!」って言いそうだ。そういうハートを持った輩達だからだ。

 今はみんなの無事の帰国と健康を心から祈る。身体と心をゆっくりと休めてほしい。奇跡のような日々は終わったのだから・・・。


 今、外は突然の雨。
 長男も次男も傘を持たずに学校に出かけた。「降水確率100パーセント」と伝えたにも関わらず。

 雨に濡れて帰ってこればいい。それもまた良し。


 

2013年2月22日金曜日

踊る火

 数日前から帰国準備に取りかかっている。帰国日が228日のため、さすがにのんびりはしていられなくなった。

 他の仲間達、ニュージーランドのカナイさんも、ドイツのモリさんも、オーストラリアのヤマダさんとホリオさんも、どうやら3月半ばに帰国するようなので自分が最も早く日本の地に戻ることになる。

 釜山から船でのんびりと戻りたかったのだが、契約の関係上、金海国際空港から飛行機で戻ることになった。本人が船で戻りたいと言っているのにそうはいかない。「契約」って恐ろしい。そしてなんだか滑稽にさえ思える。与えられた「予算」は使い切らなくてはならないのだ。ルールは変えられないのだ。そこに個人的な「想い」を挟む余地はなさそうだ。


 以前ホリオさんのブログで「荷物を二つ送りました。」という記事を読み、自分もそれからしばらくして船便で一つ送ってみた。「韓国からの船便は紛失の恐れアリ。」の情報を得ていたんだけど、実験してみた。

 本やら夏服やら適当に詰め込む。20キロで船便だと3500円くらい、航空便だと5300円くらいだろうか。一番早いEMS(国際スピード郵便)だと5400円くらいといったところだ。韓国に旅する人は参考にしてください。おみやげなど重い荷物を持って帰国するより、送ってしまった方が楽、肉体的にも気持ち的にも。

 郵便局で必要事項を記入すればそれで終わり。かなり経った後、「荷物届いたよ。」という知らせが家族からあった。船便も大丈夫のようだ。さすがに今はもう船便で送るわけにはいかないので、航空便とEMSを使用。結局全ての荷物で段ボール5箱になった。5箱送って2万円をちょっと超えたくらいだ。日本から韓国へはこの倍くらいはかかったと思うのだが。

 ただちょっと伝えたいことがある。あまり慣れていない人はソウルや釜山などの大都市の大きな郵便局やホテル、デパートから送った方がいいと思う。私の場合は一日一箱のペースで近所の小さい郵便局から送ったのだが、最初はちょっと大変だった。街の小さな郵便局は日本語も英語も通じない。つまり韓国語オンリー。それに職員が海外への荷物の扱いに慣れていないのだ。


 大きな荷物を抱え込んで郵便局に入ると、若い職員は驚いて私を見る。
「どこに送りますか。」
「日本へ。」
「日本・・・。」
職員は急に慌てだし何かをパソコンで調べ始めた。
「伝票下さい。」
と私が言ってもくれない。伝票を探しているのだ。
「EMSでいいですね。」
「いや、船便で。」
職員の目に動揺が広がる。
「船便はちょっと・・・。」
「船便でお願いします。」
「船便は・・・。」
「船便でお願いします。」

 やっと伝票を探し出し渡してくれる。必要事項を書き込み手渡すと、職員はそれをのぞき込み、パソコンと読み比べている。それも11行舐めるようにのぞき込んでいる。遅い。時間がかかりすぎだ。ようやくこちらを見て言う。
「ここに載せて下さい。」
量りを指さしている。荷物をそこに載せる。職員は何度も荷物を量りの上でずらす。・・・なんでそんなに位置を変える必要があるのか。さっきから全く重さに変化はないじゃないか・・・。

「え、えっと重いじゃないですか。」
・・・重いからなんだというのだ。
「船便は20キロまで大丈夫。」
私が教える。
「え?船便・・・。」
そう言いながら職員はパソコンで調べ出す。・・・おいおい今からそんなこと調べるのかよ。勘弁してくれよ。しばらくしてようやく
「本当です。20キロまで大丈夫です。」
職員はうれしそうに笑う。
「大丈夫でした。」
また言う。・・・二度も言わなくていい。あたりまえだ。こっちは来る前にネットで調べているんだ。

「いくらですか?」
「え?それはちょっと待って下さい。いくらかというのはちょっと・・・。」
またパソコンで調べ出す。・・・調べなくていい。もうこっちは分かっている。確認のために尋ねただけだ。
 しばらくすると職員はこちらが用意していた値段を言う。私はお金を払う。今度は5万ウォン札を裏表ひっくり返して見つめている。・・・オイオイ、偽札のわけないだろ。それとも5万ウォン札見たことないのかよ。そして札を見つめながら頷いている。・・・何を頷いているの。いったい何が分かったというの。何故そんなに満足そうな顔になってるの?


 今度は控えをくれない。私が伝票を指さすと、職員は一枚一枚めくり慎重に確かめている。・・・三枚目に「RECEIPT」って書いてあるじゃないか。それをくれよ。だが職員は4枚目、5枚目とめくり調べている。じっくりと。そしてまた初めから。・・・だから三枚目をくれよ。やっと三枚目のところで指が止まる。何やら顔を近づけ真剣に読んでいる。・・・読まなくていい。それだ。間違いない。それをくれ。職員が私を見て頷く。・・・何を頷いているんだ?それで間違いないから早くくれよ。ようやく職員はその一枚をはがして私に手渡す。

 私が帰ろうとすると職員が「あっ。」と言って慌て出す。私は振り返る。
「保険はつけますか?」
「いらないです。」
「でも保険・・・。」
「いらないです。」
「保険があるんですよ。荷物が壊れたり・・・。」
・・・もう~いらないんだよ。任意の保険があることくらい知っている。だけど中身は本と服が主に入っているんだから・・・それに紛失は覚悟しているから。いらないの。
「あの~保険はですね・・・。」
・・・まだ言うか。しつこいなぁ。
「いりません。」
何故か職員はホッとした顔をして微笑む。
「保険はいらないんですね。」
・・・だからさっきから何度も言っているじゃないか。
「いりません。」
私は笑顔で答える。
「保険はいらないと。」
・・・おいおいまだ言ってるよ。

 こりゃこれから大変なことになるなぁと思い、伝票を何枚かもらってあらかじめ家で書いて持ってくることにした。
「あのー、航空便用の伝票2枚とEMSの伝票2枚ください。」
職員の顔が引きつる。
「何故伝票が・・・。」
「家にまだ荷物がたくさんあるので・・・。」
職員の額に汗がにじんでいる。眼鏡が少し曇っている。
「家に荷物が?」
「あるんです。たくさん。」
「たくさん・・・。」
また職員の目に動揺が広がる。
「家に荷物がたくさんあるんですね?」
・・・だからそう言っているじゃないか。何故そんなことを確認するんだよ。
「たくさんあるんです。」
私が「たくさん」という語を強調して言うと、職員の眼が泳ぎだした。
「たくさんあるんですね。」
・・・また言う。まだ言うか。何故なんども言うかなぁ。

 そしてしばらくすると、その若い職員はとても大切そうに4枚の伝票を渡してくれた。
「ありがとう。あの荷物お願いします。」
と私が言うと、
「分かりました。さようなら。」
と頭を下げた。

 それから随分と日数が経ってからまた荷物を持ってその郵便局に出かけた。その若い職員は驚いて私の方を見た。だが驚くのは私の方だった。その後の迅速な対応。迷いが一切ない。きっとあれから海外への荷物配送業務について学んだのだろう。あの日本人が荷物をまだこれから4つも持ってくるという恐怖心があったのかもしれない。というよりもやはり経験が人を成長させるのだろう。

 今日5つめの最後の荷物を持っていったのだが、対応は素早かった。動きに無駄がなく自信さえ感じられた。そして私がお金を払うと心なしか寂しそうにこちらを見つめる。もう私がここに来ないのを分かっているのだ。私が
「ありがとう。」
と言うと
「さようなら。」
と頭を下げた。そう、ホントにこれで「サヨナラ。」だ。もう会うことはきっとないだろう。


 日本語の指導本、DVD、手作りの教材、書道セット、手人形、言葉カード、その他大量のレアリア(浴衣、帯、けん玉、竹とんぼ、だるま落とし、カルタ、折り紙、お札セット、破魔矢等々)などは、全て置いていくことにした。イ先生はとても喜んでいた。ここで役にたつならその方がいい。

 まだ充分使えるがもう着ないと思った服は、街の片隅にある「古着回収ボックス」へ。
 あと靴なんかはゴミ捨て場の近くに置いておくとすぐなくなってしまう。早朝、段ボールや瓶を集めているアジョッシやアジュンマが持っていてしまうのだ。特に瓶は注意深く集められている。ゴミ袋も開けられる。そして瓶を回収した後、丁寧に袋は閉じられる。その後にゴミ収集車が来るのだ。

 その現場に私はよく居合わせていた。雨の日も雪の日もアジョッシやアジュンマはその作業を続けていた。だから私はビールなどの酒類は必ず瓶で買い、それらだけ袋を分けて置いておくことにした。他のゴミ袋が残っていても、瓶が入ったその袋は早朝には必ずなくなっていた。
 下町を歩くと段ボールや瓶を積んだリアカーやカゴ車をひきながら歩く人々をよく見かける。なかにはかなり歳をとった人もいる。

 
 学校の机も整理する。大量に貯まったプリント類。シュレッダーにかけたり、ゴミ箱に捨てたり。パソコンの中身も整理。・・・っていうか全部「ごみ箱」へ。
 よし身軽になったと思ったのに、服や本その他の雑貨などの私物が段ボール4箱、おみやげなどの食材が1箱。これらをまた日本で開封すると思うとうんざりする。もしこれらの荷物が運送途中に紛失したとする。・・・なんだかそれでもいいような気がしてきた。今それらがなくても現実にこうして不自由なく生きているのだから。でももう送ってしまったのだから遅い。それにあの若い郵便職員との出会いもあったし・・・。

 こちらに来て新しく買ったアイロンや卓上スタンド、温風器などの電気製品は次の派遣者のために置いていくことにした。これらは役に立つはずだ。一番愛着がある自転車も、必要とする生徒に渡るように手配をした。

 そんな作業を学校とアパートでしている間に、送別会がなんと5回。全体のものや有志で開いてくれたものなどだ。特に有志で開いてくれたものには、昨年転勤されたキム先生やチョ先生まで来てくれて、久しぶりに杯を交わすことができた。

 それらの乱立する送別会の間を縫って、カン先生とまだ雪の積もるチリ山をトレッキングする。目的は「夕陽を見る」、・・・ただそれだけだ。


 雪道を登る。今回はアイゼンを持ってきていなかったため、足が雪や氷にとられる。山中にある待避所で夕焼けを待つ。巨大なバケツからくみ取った水をバーナーで沸かし、コッヘルでラーメンを作る。待避所の水道管は凍り付いていて水は出ない。
 マッコリで乾杯。隣で食事の用意をしている家族連れにもマッコリをお裾分け。ラーメンやキムチをつつきながらしばらく待つ。やがてその時がやってくる。
 待避所から外に出て夕陽を見つめる。山に落ちる夕陽を見るとき、人は誰も言葉を発さなくなる。

 その日はカン先生の山小屋に泊まった。
 私は何故だか身体が冷え切って震えていた。それを見たカン先生が焚き火をおこす。火を見つめながらマッコリを二人で酌み交わす。この山小屋に来ることはもうないかもしれない。

 踊る火が身体も気持ちも溶かしてくれた。温泉に浸かっているように心地よい。身体のずっと奥から安心感が湧き上がってくる。

 火の向こうにいるカン先生はいつものようには話さない。黙ったまま揺れる火を見つめている。そして時々新しい薪をくべる。

 静かだ。風は全く吹いていない。山小屋を囲む木々達も微動だにしない。まるで木々達もじっと火を見つめているように思えてしまう。踊り続ける火以外は、油絵の中にいるように全てが動きを止めている。
 時々燃える木がパチパチとはぜる。そしてまた無音の世界がおとずれる。果てしない静寂の中で火は静かに踊り続けている。


 ふと横を見ると我々と同じように子犬が火を見つめている。彼女も動かない。じっと火を見つめ続けている。
 彼女の目にはこの火はどんなふうに映っているのだろう。そしてふと思う。

 この火はあくまでも自分が捉えている火なのだ。自分は今、自分の眼を使いこの火の動きや色彩を捉えている。自分の触覚を使いその温度を感じている。臭いを感じている。だがこの火はあくまでも自分にとっての「リアル」なのだ。この子犬は別の世界を見ているはずだ。感じているはずだ。カン先生もそうだ。小屋を囲む木々達もそうだ。それぞれの「リアル」があるはずだ。そしてそれは私の「リアル」ではない。

 それぞれが全身全霊を使い世界を捉えている。世界はそれぞれの中にある。そしてそれが間違いのない「リアル」だと誰もが錯覚し生き続けているのだ。人間の五感で捉えることができる世界など、たかが知れているのかもしれないのに・・・。

 でもだから人は寂しがり屋で、他者と繋がることをいつも求めるのかもしれない。宇宙の果てにまでも求めようとする。その錯覚を埋めるために。その溝を埋めて、それぞれの「リアル」を、・・・それぞれの世界を近づけるために。

 静寂の中で火だけが様々な形に変容しながら踊り続けている。それを囲む世界は微動だにしない。火は一度として同じステップを踏むことなく踊り続ける。世界はそれを見守り続ける。

「今頃気づいたの?」・・・彼女は火を見続けている。

 カン先生が新しい薪を火の中に放り込んだ。
 たくさんの火の粉が空に舞い上がり、やがて消えていった。